浪人時代の話

 

高校時代はまあまあの進学校に上位で入学し、そこから校内10位→312位(ほぼビリ)までソッコーで転落した。

自分のせい6割家庭の事情4割と言った所

自分のせいの割合はMGO2(メタルギアオンライン)が占めていた。

そんなんでも行ける大学はあったのだが、母親の激強波乱万丈精神疾患バズーカがクライマックスの時期にぶち当たり、親父と相談、(母親の監視も兼ねて)浪人を選択した。

 

直前模試で割といい点を出してしまい、河合塾でイキリまくる。

授業カードを出席者に預け、「ピッ」していただくことで授業には参加したことになっていた。これが本当に横行していて、ガラガラの授業も多かった。

少し歩いて札幌大通り そこのモスバーガーポケモンをやっているか、塾内のフリースペースで参考書も開かず西尾維新ライトノベルを読んでいた。

 

家に帰れば母親が精神疾患で多少お狂いなさっている(全部俺が片付ける)が、少し落ち着いた所でポケモンをやる。

秋頃に人生への焦りが見え始めるも、赤本すら開かなかった。

 

当初、函館の公立大学に行きそうな雰囲気があったが、母親が当時1人にしたら(秒で自殺しそうで)ヤバかったので、親父に学費出すから札幌でと懇願され、偏差値50くらいの私大に滑り込んだ。浪人したのに学費がかかる大したことのない私大に行くことで喜ばれるとは思わなかった。

 

1年間で勉強した時間が多分1週間分も無かったのに、浪人直前よりセンター模試は良くなっていた。現代文だけ難易度関係なく9割取れていたので、現代文が難しい年で本当に良かった。

 

全部人や周りの環境のせいにして、自分はやりたい放題って時期があったけどなんとかなってしまった。

 

ちょっと思い出したので書きました。